Second lifeに思うこと

ネタがベタになっているのはちょっとどうかと思うので、プロフ編集しました。んで今回はそのことについて思うことをちょこっと書いてみる。

SLやナビスルはとても不思議な空間であり、ネタとかベタとかを考えなければならない世界だ。つまり、問題はこういうことだ。RL/SLとの線引きはどこにあるのかというのは人によって違うので、人によっては「SLなんてネタなのにベタにリアルの情報流してんじゃねぇよ。夢がつぶれるだろ!」なんてツッコミいられたりします。反対にこういう批判もあるでしょう「SLもRLと同じ論理で動いているのだからリアルの情報ださないとダメだ(あるいは、リアルの自分の持ってる属性を偽るのはダメだ」なんて言われたりもします。(これは、ネカマ問題がそうであり、就業規則としてアバターと同じ性別を求めるクラブやカフェがちょくちょくSLにもあります)



さてこの、ネタとベタの関係をどのように処理していいのか。年齢、誕生日、血液型、出身地、天気予報、RLの趣味、仕事、学校(所属学部)、ニュースネタ、さて、どこまでSLで発言することが許されるのか。
こんなこというと、「そんなのはTPO次第で使い分ければいい」と切って捨てられるかもしれないが、それはオレのようにコンテクスト(空気)よめない人間にとってはこれがなかなか難しい。
しかし、人間はある事象や現象に対して「大体こういうもんだ」というあたりを付けているわけで、そこのところの「そもそも論」がわかってないとTPOもなにもありはしない。

たとえば、外国で自分の国の言葉が通じると思いこんでいる人A君の事例を考えてみよう。
英語圏においても当然訛りは存在する。イギリス英語かアメリカ英語か、西訛りか東訛りかそういう差異が存在する。当然A君は、そのような訛りに関しては無頓着だし、そもそも英語をわかってないのでそういう差異を分かっているはずもない。
海外で母国語が通じると考えている人は、そういう訛りよりも、何故言葉が通じないのだろうか?思い悩むだろう。このような問題が、RL/SLの区分け問題にも存在する。

特に、こういう混乱は私だけに限った話ではなく、Second lifemeet-meなどのメタバースと言われる3Dの世界を体験した人間なら誰しも感じるはずである。なぜなら、同じMMORPG(http://ja.wikipedia.org/wiki/MMORPG)でも、リネージュやFFなどは環境的に闘いが目的であるし、RMT(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%...)が禁止されており現実と仮想世界の往復運動ができてないものも多数存在するからだ。むしろ、second lifeのようにこのような現実世界との往復運動がある程度実現しているほうが特殊事例だと考えるべきだろう。

たとえば、最近ではamazonが求人を出したり(http://www.secondtimes.net/news/japan/20090710_amazon.html)、一国の大統領がSLで演説したり(http://www.secondtimes.net/news/world/20090624_portugal.html) しているようである。

だが、一方でこういう調査もある。
http://www.hakuhodo.co.jp/pdf/2008/20080229.pdf
これによると、日本のユーザーのセカンドライフを楽しむ理由として、「違う自分になれるから」(日本26.5%・海外17.9%)が、海外ユーザーよりも非常に多いらしく。また、ユーザーが参加するセカンドライフのコミュニティー内にはセカンドライフを始める以前からの知人はゼロに近く、日常生活のリアルな人間関係を持ち込んでいないこともわかりました。つまり、仮想世界は仮想世界としてリアルの自分の状況や属性に拘束されたくないと考える人間も多いらしい。

こういう一般のウェブコミュニケーションが行われつつも、そうではないゲーム(SLでの店や人物についての話題)のコミュニケーションも同時並行して行われている。このダブルバインドの状態がこれからも当分の間続くだろう。

一つだけ言えるのは、私たちがsecond lifeのようなメタバースで遊ぶ時、常に「RL/SL」の区分けを気にして自分の発言のコントロールに意識的になっている点で、この点は面白い部分だと思う。
つまり、アバター的自己/RL的自己 の分裂を個人がゲームにおいて体験することで、より一層そういう分裂を個人が意識してしまうということだ。

おそらくこの分裂においてもたらされる帰結は、決してメタバースにとって明るい未来ではないと思われる。特に、最近指摘されているがネットで形成される集団的な力はあまり現実社会で機能しなくなってきている。ネットはネット。現実は現実。という風な古典的な二文法がメタバースのゲームでより強調されてしまい、アマゾンやポルトガル大統領といったメタバースに一石投じるような人たちの努力を無駄にしかねない事態だといえる。